曖昧なモノクロの世界
東京国際映画祭でグランプリを受賞した本作。監督は『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八、主演は長塚京三(筆者としては『ナースのお仕事』のイメージが強い)。
この映画の最大の特徴は、全編に渡るモノクロ映像だと思う。
昨今では部分的にカラーとモノクロ描写を織り交ぜることで、登場人物の心情を表す場合も多いが、本作は全編モノクロを貫き通す。
本作ではなぜ、モノクロの映像が採用されているのだろうか。
「白黒ハッキリさせる」という言葉があるが、映像におけるモノクロはあらゆる情報を制限し、境界を曖昧にする。
例えば、物語の「時代」。
冒頭、顔面に数多くの深いシワを刻んだ長塚京三が、昔ながらの日本家屋で丁寧に暮らしを営む姿が映し出され、かなり昔の時代設定かと錯覚する。しかし、主人公の机の上にiMacが置かれている事に気づいた鑑賞者は、この物語が現代の話であると理解する。
観終わった今思い返すと、iMacがなければ、この物語が現代の話だと知る術はなかったかもしれない…とハッとしたが、このように、白黒であるが故に情報が制限され、「時代」を曖昧にすることができる。
この「境界の曖昧さ」こそが本作の真髄であり、モノクロを採用した最大の理由であると思う。
たった一言で、夢と現実のグレーゾーンをぶち壊す
主人公の現実と夢の境目が曖昧になっていくなかで、
登場人物のさりげないセリフ一行で、
静かだが一気に、この世界の解像度を引き上げるところがいかにも小説っぽかった。
井戸掘り名人?そんな人いるの?
こんなセリフも、前半のコメディパートとして笑い飛ばしていたが、今になって振り返るとゾワっとする。配信が解禁されたら、もう一度登場人物たちのセリフを聞き直したい。
その前に、原作小説を読んでみるのもありかも。
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エンタメを享受する役所広司と、フランス文学の権威・長塚京三
PERFECT DAYSとの比較は多いと思うが、
役所広司がエンタメの受け手だったのに対して、
長塚京三はフランス文学の権威として、雑誌の連載などを持つ書き手だったのは興味深い。
こんなブログを書くぐらいには、書くことを仕事にしたかった筆者にとって、長岡京三の老後生活は羨ましい限り。
ただ、十分な資産を残しても、人との関わりは金で買うことができない。
もし自分の親が一人暮らしをすることになったら…。
鑑賞者層は比較的高齢だったが、老後の生活についても考えさせられる内容であることは確かだ。
ちょい役で締める中島歩
最後に、どの作品でもカッコイイちょい役で作品を締める中島歩についても触れておきたい。(ネタバレかもしれないが、超重要人物というわけでもないと思うので許してほしい…!)
映画「ナミビアの砂漠」「HAPPY END」、ドラマ「阿修羅のごとく」と、出てくるたびに「歩!」と心の中で叫んでいる筆者であるが、今回はまさか歩じゃないだろうな…と思っていた役がやはり歩だったので思わず笑ってしまった。
もはや名人芸の域に達している中島歩氏のちょい役出演に、今後も目が離せない….。
95点!大好きな映画。
中島歩に話が逸れてしまったが、筆者はとても好きな映画だった。
スリラーかと思ったら、丁寧な暮らしで、
飯テロかと思ったら、犬のフンの後始末で揉めて、
老人のチープな色恋かと思ったら、老後の一人暮らしの深刻な問題で。
ジャンルを横断し、さまざまな問題の示唆を含みながらも、一つの作品としてうまくまとまっているのは、モノクロの曖昧さが全てを包み込んでいるからだと思う。
現実と妄想のグレーゾーンに身を委ねて、ハッとする映画体験があなたを待っています。
是非、映画館でご覧ください。
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